貸出しの基準が変わった基準

貸し出しの基準が変わった理由とそのシステム

我が国の銀行の貸し出しの基準が、実は昔と今とで激変した理由を知っていますか?ここでは、銀行の融資基準が激変した歴史と新しく作られた融資基準を振り返りましょう。

高度経済成長期の銀行の考え方は、当時の土地価格は特に何もしなくても一定に上がる投資現象が起きていたので、貸し出す側が土地さえ持っていればその範囲でのみお金を貸し出せばいいので、土地担保融資が不変的な融資の基準ではあったものの不動産担保さえきっちり確保しておけば結果的に貸出金を回収できる、というシステムでした。この銀行の考え方と対応により、土地があれば借主も結果的に銀行から融資を受けられる、という時代でした。バブル期では、3ヶ月ごとに土地価格が上がっている現象が起きていたので、銀行もそれに合わせて3ヶ月ごとに担保の見直しを徹底していけば何とかなる、という背景がありました。都市圏の銀行では、5年経ってからの不動産からのその土地の評価を想定し、5年経ってからその土地はおよそ15億になるとシュミレーションをした試算額を弾き出した上で、5億の土地を10億に設定することでよその銀行がその土地に手を出すことができないようにし、その土地の不動産担保を確実に抑えて勝ち取っていたのです。こうした現象はバブル期のどの銀行もこういった状況が続いており、まさに不動産は永久に上昇し続けるだろう、とさえ錯覚している方もいたのです。今でもよく耳にする薄利多売を使って不動産を銀行の特殊な武器化させることで、国際的な銀行のランキングを日本の銀行が上位を占められるようにしていったのです。

そこで世界的に日本の銀行のこれ以上の拡大に歯止めをかける為に、世界の銀行は8パーセントの自己資本率の維持が徹底されない時は海外業務から手を引くという厳格なルールの「BIS規制」が敷かれて、自己資本システム強化のために融資内容の変化を迫られました。これが融資基準が変わった第一のシステムの変化の理由です。

しかし銀行側の中には「この様な異常現象は決して長くは続かない。いつか土地や不動産の価格が下落する時代がやってくる筈だ…。」と予想していた通り、やはり我が国の金融システムに激変を求められる時が突如やってきたのです。それこそがバブルの崩壊でした。「BIS規制」により自己資本率の低い日本は海外の融資市場からの撤退を余儀なくされることになりました。これを皮切りに、案の定バブル崩壊により土地の価格はまるで価格が止まる下限等は知らないと、いった様にどんどん下落していくという現象が頻発し、どこの金融機関さえもその下落の下限がシュミレーションできずに下げ幅の底が見えない…といった事態に陥ったのです。不動産価格の下落の際限が見えずによそは次々に破綻していくという状況下で、銀行側も不動産の融資基準からの脱却を迫られ、新しい融資の審査基準システムの確立を余儀なくされる方向へと追い込まれていったのです。

また、1998年に銀行などの金融機関を対象とした「金融再生法」が施行されたことによって、1年に2回は銀行の各種経営指標を載せたディスクロージャー誌を銀行の店頭に置き、お客様にその銀行の経営内容を公表することでその銀行の融資基準がわかるようになったのです。これが融資基準が変わる第二のシステムの変化の理由です。

銀行の融資基準が変わったのは、バブル崩壊後の破綻や倒産が止まらない状況下の企業を新しく査定する為の「格付システム」を銀行が導入したこともその1つです。貸し出す企業を点数的に評価し格付けすることで銀行側の融資の基準がわかりやすくなったことが第三のシステムの変化の理由です。